むーみんヒストリー第一章【幼少〜学生時代】

山あり谷ありどん底あり。遠回りだらけの決して平坦ではなかったダンス人生。
むーみんのダンスとの出会いからフリーランスダンサーとしての活動、ママになり現在に至るまでの軌跡を少しずつ振り返る、という自己満企画!

第一章は、内気だった幼少時代から、がむしゃらにダンスに打ち込んだ学生時代を振り返ってみます。

人前に立つのが超絶苦手だった幼少期

1979年5月11日、神奈川県平塚市で、平凡な仲良し家族のもとに誕生します。ちっちゃい頃は人見知りが激しく、家族以外の人に心を許すのはかなり時間がかかったタイプ。お兄ちゃん子で、5歳上の兄のあとをついてまわってる子でした。

赤面症でコンプレックスのかたまり

幼少期の私は超引っ込み思案で、人前に立つことが大の苦手な子でした。
髪がくるくるの天然パーマだったのですが、それがすごくコンプレックスだったようで、人に笑われたくないからとにかく目立ちたくなくて。
もちろん授業でも自分から手を上げて発言なんて絶対できないし、赤面症で、注目されるとすぐに耳まで真っ赤っか。それを指摘されると更に恥ずかしくて毎回泣きたくなるような気持ちになってたのを覚えてます。

心の友はピアノ

そんな感じだったので自分に全く自信がなかった私ですが、唯一楽しみを見出してたのがピアノ。独学でエリーゼのためにとか子犬のワルツとか弾けちゃうような子でした。好きなことへの集中力は高く、暇さえあればピアノを弾いてましたね。

「そんなに好きならピアノ習う?」と親が勧めてくれるも、習い事ひとつ始めるのにも相当な勇気が必要だった私はなかなかスタートする事ができず、9歳の時にやっと意を決してピアノ教室へ。
初めての発表会は、「耳まで真っ赤にしながら息するのも忘れてるんじゃないかくらいの壮絶な勢いで、最後まで立派に弾いてたよ!」と終わってから母に聞かされました(笑)そんな我が子を見守る母の気持ちを今考えると、、、胸がキューっとなりますね。

少しずつ変わり出した10歳

ピアノを頑張ることで、少しづつ自分に自信がつきはじめた私。
さらにその時の学校の担任の先生がものすご〜く褒め上手な先生で、事あるごとに「君は素晴らしい!」と色々な部分を褒めてくれて、いい意味でまんまとノセられたんでしょうね私。その頃から徐々に変化が見えます。
授業で手を上げて発言できるようになったり、学級委員になったり、全校集会のピアノ伴奏に立候補したり。
自分でも驚くほど積極性が開花し始めるのです。

11歳でダンスとの出会い

初めてのミュージカル観賞でカルチャーショック

11歳のとき、「これ観に行ってみない?」と母から誘われたのが「アルゴ」という子供達が主役のミュージカル。
それまでミュージカルに興味も無かったし、というよりミュージカルというものの存在すら知らなかったのですが、カラフルなチラシの楽しそうな雰囲気になんとな〜く興味が沸いて、東京まで母と観に行くことに。

初めての本格的な舞台観賞。
この日が確実に私の人生の1回目のターニングポイントだったなと思ってます。
きらびやかなステージ上でキラキラした表情で歌って踊る子供達の姿。今まで観たことのない、自分と同じ歳くらいの子供達が発するパワーに驚き&興奮!と同時に、なんだか心の中がザワザワザワ〜っとなった感覚を今でも覚えてます。
こんな世界があったのか!
こんなに輝いてる同年代の子たちがいるのか!
自分と全然違う!!!

完全にカルチャーショックでした!

恥ずかしさとの戦いだったダンス教室

その日から、私の心は「ステージに立つ」ことへの興味が急上昇!
そんな時に小学校の近くでダンス教室が開催されてることを知り、勇気を出して門を叩きます。
ついにダンスとの出会いです!

ところが、初めて経験するダンスレッスンは・・・期待とは違い苦行の時間でした。

●とにかく体が硬かった私は周りの子と同じことができない。
●私は5年生だったけど、周りの低学年の子達のほうが何倍も上手。
●できない自分を見られるのが恥ずかしくてたまらない。

今考えれば、入ったばかりで一番できないのは当たり前のことなのに、当時の私は変にプライドが高くて本当にそれが嫌で嫌でたまらなかった。
ただ、嫌だったストレッチや基礎練とは逆に、振付を覚えるダンスの時間はすごく楽しくて、子供ながらに今まで味わったことないようなワクワクする気持ちを感じます。

正直最初の数ヶ月は、やりたいの?やりたくないの?と悩みながら教室に通ってましたが、それでも、年に一度の発表会でステージに立つのは刺激的で、スタジオのメンバーとお揃いの衣装を着れたりするのも嬉しくて、楽しみながら続けていました。

ダンスの面白さを知った瞬間

そんな私のダンスへの取り組み方が変わったのが、教室に通い始めて2年が立った頃。
ある時自分の中で「あっ!体ってこうやって使うのか!」と腑に落ちた感覚があったんです。なんか、自分の動きが生まれ変わった感覚。
そうなると今まで踊ってた振りも全然違ったものに感じて、ひとつひとつの動きをもっとカッコよく見せるには?と自分なりに研究することに夢中になりました。

それまでは、教わったことをただ覚えて踊れれば楽しかったのが、この時から「もっとうまくなりたい!」と欲求を持つように。ここからどんどんダンスにハマっていったように思います。

好奇心旺盛だった学生時代

優等生だった中学時代

中学生時代は、小さい頃の引っ込み思案はどこへ?というくらいアグレッシブ!
ミュージカルのオーディションを受けたり、レッスンを受けに電車で1時間半の東京代官山まで通ったり。今思うと、完全アウェイの場所に一人で挑んだ勇気に拍手です。

学校ではダンス部が無かったので、ダンスに似てる?という理由で(全然違うけど笑)新体操部に入部。体の硬い私は新体操の成績はさっぱりな3年間でしたが、廃部寸前のたった3人だった部を、文化祭のダンス発表でアピールしまくり、なんと30人近い下級生が入部してくれたという偉業を成し遂げます!

中3ではまさかの生徒会長に!人前に出るのがあれだけ苦手だった私がですよ!自分でもびっくりですが、おそらく一番驚いたのは両親だったでしょう。
この頃から「企画好き」だったようで、校則を大改定したり、全校集会でお料理番組をやったり(なんじゃそりゃ笑)、だいぶ自由にチャレンジさせてもらいました(寛大な先生方に感謝!)

サボることを覚えた高校時代

中学まではどちらかというと優等生だった私ですが、高校時代は真逆。
市内トップの進学校に合格するも、急に授業が難しく感じて勉強への意欲がダウン。毎日のように遅刻、授業サボってしょっちゅう怒られ、バイトと恋愛と友達と遊ぶことに夢中になり、ずっと通ってたダンススタジオもサボり気味に。

それでもダンスの熱が冷めなかったのは、高校の体育祭のダンスのおかげ!
うちの高校は1〜3年生まで縦割りのブロックで競うダンスに相当な力を入れてて、副ブロック長としてダンスリーダーを務めていた私は学校生活の大半はそこに熱量を注いでました。まさに青春!

遊びに走り始めた高校時代もダンスがあったおかげでグレる方向性には行くことなく、無事に大学に進学することになります。

(ちなみにこの頃の私は、安室ちゃん、MAX、SPEEDのダンスに夢中な時代です。)

行動範囲が広がった大学時代

大学時代前半は、初めての合コン、初めてのクラブ、と知らない世界を知りはじめ、正直勉学よりも自分の世界を広げる活動(よく言えばw)に励む日々でした(笑)

そして大学に行ったらストリート系のダンスサークルにはいるぞ〜!と心に決めていた私が入学してから知ったこと。それは私の入学した明治学院大学にはダンスサークルが無い!という事実(リサーチ不足!)※現在はあります!

そんな私に声をかけてくれたのが、駒沢大学に通う友達。何やら新しくダンスサークルを立ち上げるから初期メンバーとして参加して欲しいと!
そんなわけで、距離もそこそこ遠い別の大学にしょっちゅうお邪魔する、というなかなか非効率な大学生活がスタートします。

人生の方向性を決めたダンススタジオとの出会い

そんな中、ダンスサークルの活動経由で、とあるダンススタジオに出会います。
このスタジオとの出会いが、私のダンス人生の二つ目のターニングポイントとなっていくのです。

地元平塚で家族に守られた生活から、羽を広げ外の世界に出はじめたむーみんに、ここから色んな人生修行が待っています。

第二章へ続く